第1回全国市議会議長会研究フォーラム〜地方議会と市民参加〜

 

1.基調講演「分権時代と二元代表制」 北川正恭早稲田大学大学院教授

 

○「中央集権という思い込み」の中から

 ・明治10年、福沢諭吉に地方分権論が見られる。

  →法律と条例は対等、との考え。都会では立ち小便は禁じられるが、農村

   では許されていい、という発想。

 ・立憲政友会のポスターに、「国民よお前が選べ」と。

  →国民の主権意識を強くうながすもの。

 ・シャウプ勧告は税制改革と思われがちだが、実は地方制度改革にも及んで

  いた。だが朝鮮戦争で実現しなかった。

 ・選挙の地元に個別利益を取ってくることが国会議員の仕事の80%である、

  それが国会議員の「仕事」である、という「思い込み」が根強い。

  →議員は「ルールメーカー」であるという自覚を。

 ・福沢からシャウプまで、明治以降にも以上のように様々に地方分権の盛り

  上がりはあったが、制度として確立に至らなかった。が、今こそその時。

  その心構えが地方に必要。ピンチでなくチャンス、ととらえる地方が出て

  こなければ、再びこの盛り上がりは潰れるだろう。

 

○中央集権とは「他人のサイフで仕事をする」こと

 ・効率が良かろうはずがない。戦後60年、それが続いた。

 ・集権官治から分権自治へ

 ・これまでは「陳情こそ重要」とされてきた。地方が「地方政府」と呼ばれ

  たことは一度もない。

 ・地方分権とは、「自分のサイフで仕事をすること」。

  →子どもが大学に行くなら、仕送りのために倹約もするであろう。中央集

   権にはそうした機能がない。

 

○「経営」とは

 ・「経」とは家を建てるときの設計図のこと。

 ・「営」とは正しく家を建てること。

 ・「経営」に対するのは「管理」。上から決められたことをそのままやること。

  →60年間、国は経営、地方は管理の構図でやってきた。

 ・トンネルのエピソード

  →ある地方で、30年待望のトンネルができた。「知事さん、ありがとう。

  国の「構造令」を守ってできたこのトンネルには幅3メートルの歩道が付

  いている。けれどもこの歩道を歩くのは、知事さん、サルだけです」。

 

○機関委任事務がなくなって

 ・以前は県の仕事の8割、市の仕事の4割が機関委任事務であった。

 ・この機関委任事務が廃された。

 ・地方が独走することも考えられる。

 ・それをチェックするのが、地方議会の仕事。

 ・地方議会の条例制定機能こそ今、期待される。

 ・議員は「陳情のため上京」から「勉強のため上京」へ。

 

○マニフェスト政治の本質

 ・20年で700兆の債務を抱えた。「給付はよこせ、負担はイヤ」と言い続

  けた結果である。その責任を誰も取らない。

 ・これからはマニフェストによる選挙と政治を行い、これによって「責任を

  問う」ことが政治のあり方となるべき。

 ・同時に、それは「選んだ側」の責任を明らかにすることでもある。

 ・「ないものねだり」の陳情合戦。これこそ「他人のサイフ」政治。

 ・三位一体改革の本質は「あげるものはなにもない」ということ。

 ・国への「ないものねだり」をやめ、地方で「あるものさがし」へ転換を。

 

○黒川温泉のエピソード

 ・初代社長は見事な日本庭園造りで経営に成功。

 ・しかし二代目社長は日本庭園を壊し、雑木林にした。

 ・そこに露天風呂を開設。大ヒット。

 ・各温泉どこにでも入れる「温泉手形」でも成功。客は常にいっぱいに。

 ・「成功の秘訣は?」「市役所を頼らなかったこと」

  →商売は独自性。市役所に頼むのがおかしい。

 

○議会の存在理由問われる時代に

 ・陳情合戦から政策合戦、善政競争へ。

 ・他責文化から自責文化へ。

 ・マニフェストという「気づき」の道具を使って。

 ・議員が変われば市役所、市長が変わる。

 ・市長や知事が変われば、国が変わる。

  →これまでは国に変えてもらっていた時代であった。


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2.パネルディスカッション「地方議会と市民参加」

 

  コーディネーター 礒崎 初仁 中央大学法学部教授

  パネリスト    飯尾  潤 政策研究大学院大学教授

           世古 一穂 金沢大学大学院教授

           中西 晴史 日本経済新聞社編集局編集委員

           中森 慎二 四日市市議会議長

 

○中西 地方議会の仕事は@行政監視、A政策形成。

    マスコミに対して、市議会議員は不満があるだろう。県議会なら議会

    のことがニュースになるが、市議会議員が報道されるのは悪いことを

    したときだけ。

    夕張の市議会議員は何をしていたのか。

    市議会議員は陳情処理で手一杯、政策どころか行政のチェックさえ十

    分でないのでは?

 

○世古 「人々のつぶやきを形にする」仕事がしたくて、NPO法を作り上げ

    た(氏は27、28次地方制度調査会のメンバー)。

    全国で市長はみんな「市民参加、協働」と言うが、実体はなく、市民

    のほうは市役所を頼ったまま。

    議会は市民と協働で政策を作る。

    監視議会からアクティブ議会へ、さらに協働議会へとパラダイムシフ

    トが必要。「立ち位置を変える」こと。

    「行政への市民参加」から「議会への市民参加」へ。

    これまでの議会の延長に、未来の議会があるのではない!

 

○飯尾 「地元の政治」ということがまだちゃんと見られてない。

    みんなで「どうしよう」という議論こそ政治だが、それが全く議論さ

    れていない。「倹約できた」とか市長が出てきて説明するにとどまって

    いる。

    米国では二元代表制が成功している。大統領は拒否権を持つものの、

    議会が活発、議会中心で機能しているから、うまくいっている。

    市民に聞いてみるとよい。「無駄なものは何か」。そこに必ず「議会」

    という声がある。「議員を減らした」ことが褒められ、話題になる。こ

    れは本来、おかしいことだ。

    議員同士が議論するというあり方が、ない。

    首長にできないこと、それは首長に反対意見を述べることだ。首長に

    反対すること、討論することこそが議会最大の仕事である。

    いちばんいけないのは、政治=選挙、との思いがあること。選挙はイ

    ンプットに過ぎない。アウトプットを議論する場や仕組みがない。

 

○中森 四日市市議会の改革

    平成3年、初当選の時点では委員会も非公開だった。

    一部の議員で条例を作るというのは面白くない。

    議会の中でどのようにキャッチボールをできるようするか、というこ

    とで議会内に懇談会を設置。(市議会活性化懇談会、市活懇)

    市長に対しては議員はモノを言えるが、議会内議論は苦手。

    議員提案のものを議論する場ややり方を確立する必要を感じた。

    そこで条例作りをテーマに掲げることにした。

    先進地の勉強をしつつ、平成12年9月、情報公開条例全部改正を手

    始めに、これまでに文化振興条例、自治基本条例など、7本の議会提

    案を行ってきた。

    市役所若手職員や市民の意見をもらうほか、四日市大学の先生の意見

    も求めた。

    全員での協議は時間がかかるので、人数を絞り、特別委員会の方式。

    議会事務局に法制担当を置いた。

 

○世古 議会と市民参加

    米国の学説「市民参加8段階」の解説あり。

    市民参加条例を作るのは、本来、議会の仕事だ。

    ボランティアとNPOを比較すれば、ボラは個人、NPOは組織であ

    る。市民参加はNPOや団体でやっていくものだ。

    そこで市民セクターへの分権が今後重要だ。

    従来言われている「第3セクター」というのは本来「1.5セクター」

    と言うべきであり、市民セクターこそ本当の第3セクターだ。

    「地方分権」から「市民分権」へ。

 

○中森 議会改革の続き

    平成13年から、議長は立候補制。立候補者が公約を示して投票で決

    めることにした。

    平成16年の議長が「議会モニターを作りたい」と提案。

    40名の市民で発足。「初めて議会の部屋や議長室を見た」などの話題。

    家庭の夕食の席で議会が話題になるのが、近道かと思う。

    今年度のモニターは43名。市内23の地区があり、地区内人口1万

    人未満のところから1名、1万人超のところから男女各1名、出ても

    らっている。20歳代から70歳代まで。男性22人、女性21人。

 

○飯尾 これまでは恵まれた時代だった。これからは、止めること、役所がや

    っていたことを住民に担ってもらうということが必要な時代。

    それを判断し、議論するのは誰か。それは議会である。

    議会のそうした熱心な議論に触れて、市民は「なるほど、しかたない」

    と納得してくれる。今のままなら、「議会が勝手に決めた」となる。

    議会の活性化と公開が是非とも必要。

    いちばんいいのは、議会で市民がいっしょに議論する場を作ることだ。

    そういう議論に参加する市民を何%作るか、だ。

 

○中西 10年前、夜間議会やサンデー議会がブームとなったが、市民は聴い

    ていても面白くない。だから傍聴者は増えない。

    議会は「打ち合わせどおりの学芸会」と、片山鳥取県知事は言った。

    市民に、議会に関心を持ってと訴えても反応は鈍い。ごみ処理施設反

    対、という問題なら、みんな来るが。

    「1500票、集めにゃならん」議員にとってその相手だけが「市民」

    なのが実情だ。

    「あれをやれ、これをやれ」の個別利益の誘導に走るのが議員の「業

    (ごう)なのだ。

    選挙の支持者だけでなく「市民全員」を目配りしているか、疑問だ。

    「あの議員は肌が合わん」という意識が根強い。

 

○世古 議員は「代理人」である。

    条例制定については、「理念条例」でなく「手続条例」でないとダメ。

    ここにこれからの議会のミッションがある。

    四日市市の自治基本条例の中に「市民の責務」との表現があるが、こ

    れはおかしい。

    公共領域の分け方について、議会は明確にすべきだ。

    その上で、市民の責務でなく、「役割」を明確にするべきだ。

    行政に詳しい、他の市役所の職員が地元市の議員になるのがいい。

    (これに対して場内からブーイングあり。また中森氏からこれに対す

    る「市民もまた責任を負うべきだ」との反論あり。)

 

○コー 地方議会の現状紹介

    報酬は全国平均40万円/月。これにボーナス、政務調査費がある。

    開催日数は年80日。

    日当換算したら結構な額だ。

    専業議員も増えているが、兼業議員も多い。市全体のことを考える余

    裕はどれくらいあるのか。

    政治への集中度が問われる。

    条例作りは、言うほど楽なものでない。さりとて、事務局スタッフを

    増やすのは難しい。

    そこで、周辺市と法制スタッフを相互乗り入れすることはできないか。

    また市長側との庁内でのスタッフの融通はできないのか。

    とにかく予算の修正くらいはしてほしい。

    事務局の職員数は9.2人。うち正規職員は8.6人。

 

○世古 市民が作る「シビルロウ」の時代。細かく規定して、悪ければ直すと

    いうのがこれからのあり方だ。

    地方制度調査会で提言したことを紹介。

    @議会召集権を議長に。

    A専決処分の要件を明確に。「開く暇がない」とは失礼だ。

    B議会附属機関の設置を認める。これは自治法になく、各市で独自に

     規定すべき。

    C議員の新たな位置づけ。これは引き続き検討することになった。

     アメリカではボランティア議員が夜に議会。これが常識だ。

 

○中森 法律による地方議員の定数上限は不要だ。

    市職員2800人に対して事務局職員は16人。もっとスタッフを。

    前述のモニターには、交通費さえ出せない。記念品で代えている。

 

○飯尾 「やめたらどう?」という提案をしたい。

    @与党志向をやめる。通告なしで質問を行う。

    A議員は働いているが、働きが市民に見えない。「口利き」をやめる。

    B国と地方は対等。国からの「標準議事規則」万全の考えをやめる。

 

○中森 議会が街に出て語る、という企画を、この秋にやりたいと思っている。

 

○中西 志木市の元穂坂市長が「地方議員タコ論」を唱えている。自分の足を

    食べているという意味だ。

 

○世古 「つぶやきを形に」「思いを仕組みに」するのが議会の仕事。

    政策提言していくのが議会の仕事。

    議会は「仕組みをつくるところ」。

 

○飯尾 分権改革

    団体自治から住民自治へ、力点は移る。

    今後、良い議会を持っているところは分権改革が伸びていく。

 

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3.感想

 

 全国市議会議長会が第一回として行ったフォーラム。

 地方議会のあり方改革がこれまでにも増して要請されるという論調は、私にとっては特段目新しいものではなく、むしろ自分の考えを確認することができたという印象です。

 

 北川氏講演について

 

 これまで何度か講演を聴講し、また氏の著作も読み、一部は同僚議員にもこれまでコピーして差し上げました。私は北川氏の信奉者と言っても過言ではありません。

 それにしてもその論調の明快さ、展開の痛快さは何度聴講してもすばらしい。

 基本的に同じ内容を訴えられているのですが、深まる、と申しますか、次第に自分の中で確信が深まっていくという感じがします。

 「他人のサイフ」で仕事をする、それで効率が良いわけがない。これからは地方が「自分のサイフ」で仕事をする時代、とは至言。

 福沢諭吉の時代から、「地方分権」は俎上に乗りながらも制度として確立しなかった、と歴史を掘り起こしながら、今こそその時、という論調には説得力があり、私自身、使命をいただいてこの時に、議員をさせてもらうことを意気に感じる次第です。

 が、現実には非常に困難が伴う。

 正しいことが「そうだそうだ」と、すんなり受け入れられるはずもありません。長い長い、60年という地方制度の「常識の壁」が、そこに横たわっているのですから。その壁は役所にもあり、議会にもあり、そして市民の意識の根底にも横たわっています。

 北川氏の講演を聴いて、丸亀に帰ればすぐにでも実現できるような心の軽やかさもいただく反面、そうではない、現実は現実だ、との重い認識もあります。

 同僚議員の間に、北川氏の唱えるこれからの議会のあり方、地方政府のあり方について同調者を増やしていくのか。「いいお話でした」で終われない、重い、しかし熱い思いがあります。

 あまり「吾ひとり賢し」と思われるような言動をとらず、真摯に誠実に、議論を広め、深めていく努力をいたしたい。

 

 パネルディスカッションについて

 

 テレビの討論番組などに見るように、口角泡を飛ばして激論することは、こうしたステージでの討論では見られません。しかし今回はそれなりに、世古氏の唱える「議員は市民の代理人」「四日市の自治基本条例に『市民の責務』とあるのはおかしい」などの意見に対し、場内がざわつく一面もあり、緊張したものでありました。

 私も昨年12月の地方制度調査会答申は興味深く思っており、この席上でも言及された、分かりやすく言えば「坂出市役所職員をしながら丸亀市議会議員をすることができるように」という論調には、わが身に引き当て、答申当時もわが意を得たりの感がしましたが、以外にもこの日、会場からはブーイングが聞こえておりました。

 あれは「初めて聴いた」というどよめきだったのでしょうか。

 「議員の皆さんは市民の代表だと思っておられますか、それとも『代理人』でしょうか」と、三択の質問が世古氏から場内に挙手を求める一幕もあり、私個人はまさしく「代理人」と考えておりますけれども、場内から「それはおかしい」との声も聞こえていました。

 なるほど。

 なにが「なるほど」なのか、自分でもよくわかりませんが、全国の地方議員、皆それぞれの思い、考えがおありである・・・これは大変だ、という、漠然とした「なるほど」でありました。

 今、このレポートを書いている折りしも、私の同級生たちとのメーリングリストのやりとりで、「議員の無給化」について議論がなされているところです。

 つい先日はまた、パネラーからも紹介された志木市の穂坂元市長の書いた「市町村崩壊」というタイトルの本を読了したばかり。そこに世界各国の議員の報酬状況も紹介されており、今、私はさまざまに考えをめぐらしているところです。

 私にとってこのパネルディスカッションは、そうした背景から、まるで自分の頭の中で行われている、複数の自分というパネラーがあれこれ意見を戦わせているようなイメージで、今も日夜、続いている心地です。

 一方、丸亀市議会では現在、市議会のホームページのあり方に対する議員各人へのアンケート調査が行われており、3日後が提出締切日です。

 そこに私は、「議員視察報告の市民への公開を」と提言するつもりです。

 それはささやかな、私の今できる主張のチャンスではあります。

 さて、私が今書いているこのレポートが、どれだけの議員や市役所職員、そして市民の皆様の目に触れるのか、と私は考えます。

 少なくとも提出先である議長だけは読んでくださると思います。

 ここは「あの」、議長さんの顔を思い浮かべながら綴るのですが、是非とも、私が企図するところをお汲み取りいただき、調整役を勤めてくださりながら、現議長の間に、一歩前進の指揮を執っていただきたいと切に願うものです。

 本年2月28日にわたしどもから提出させていただいた改革案の一部でも、検討の俎上に載せてくだされは幸いです。

 まるで議長への手紙のようになってしまいましたが、このパネルディスカッションに触れ、この思いを語って感想とさせていただきます。

 

 最後に

 

 四日市市議会のように、すぐさま議長を選挙制にせよと持ち出すつもりはありません。また、世界の常識とされる「議員のボランティア化」についても、今ただちに、議題とする考えもありません。が、それは現実のことなのであり、議論を避け、後回しにすることを潔しとしません。

 「現職議員は自分の御身大切だから、無報酬化なんて、まちがっても言い出しはしないよ」と、市民から哂われることが、くやしくてなりません。

 そのメーリングリストに寄せた、私の友人の発言に「うっちゃん(私のこと)は市民の意識が低いと嘆くけど」という一節があり、少し心でひっかかるものがありました。なるほど。私の言い方は、ともすれば市民の意識の低さを卑しむような言い方になっているのかも知れない、と。気をつけていこう、と。

 私の真意はそこにはありません。市民の意識、いわゆる「民度」は低いかも知れないが、自分はその、低い民度の市民から輩出していただいた「代理人」です。代理人が委託人をさげすむのは本末転倒。船の案内人を任されたパイロットが船先で何かを発見したら、遅滞なくそのことを委託人に知らせるのが務め。それを「おまえら、知らないだろう」と胸を張るのは滑稽でしょう。

 われわれ議員は、市民の幸福と未来を担う、とても高度な業務を受託した「代理人」であると承知しております。

 ディスカッションの中でも語られた、「市民は傍聴に来ない。ごみ処理施設反対ということならば来るけれど」という言葉の中に、実は出口の光明が見えているのではないかと、ふと考えます。

 市民の皆さんにどうやって議会に関心を持っていただくか。

 「なるほど議会はちゃんとやっている」と評価していただくか。

 それには、ごみ処理施設反対ほどの「切実さ」と「わかりやすさ」を工夫すればいいのではないでしょうか。

 ともあれ講演やパネルディスカッションはどこまでもステージの上での議論。

 私たちは現場で、議場で、汗を流し、勉強を重ね、熱く語るという誇らしい仕事を与えられた者。

 識者の発言からたくさんのヒントや、物事の論点整理をしてもらい、さてここからが、我等の面目躍如と、そうありたいと思います。


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